英語(外国語)の習得って、多くの社会人にとって、永遠の「今年の目標」じゃないかなと思う。つまり、毎年目標にかかげるけれども、未達のまま、また翌年に持ち越すという。。
語学上達の成長曲線は、一定の割合で上昇カーブを描くわけではない、というのはよくいわれること。ある程度まで時間と比例して上昇すると、そのあとしばらく伸びなやむ時期がやってくる。それを乗り越えると、またぐんと伸びる時がやってくる。
その停滞期は「初級から中級」のあいだと「中級から上級」のあいだにやってくる。
例えばヨーロッパで使われている語学能力のレベル分類は、初級(A1, A2)中級(B1,B2)上級(C1, C2)となっている。A1からA2とか、B1からB2にいくのはわりに簡単なのだけど、A2からB1とかB2からC1となるととたんにハードルが高くなる。実際ここに長らくとどまったり、ここであきらめてしまうひとが多い。
わたし自身といえば、英語は長年中級の域を出ず。3年前にフランス語圏に住むことになり、イチからはじめたフランス語もやっとB1に手が届くかどうかのレベル。と、まさにこのふたつの壁を前に、停滞期まっただ中にある。
同じ時期にフランス語をはじめた友達と会うと、「フランス語は最近どう?」というのがあいさつがわりになっていて、おたがい笑って言葉を濁すのがお約束だ。「勉強するのやめちゃった」とか「ほそぼそと続けてるけどなかなかね」とか。
(例外はティーンエイジャーだ。さすがに脳の若さがちがう、というのと、大学や就職のために必要にせまられているので勢いにまかせて、すんなり上達してしまう。)
とにかくある程度の年齢をすぎると、この停滞期は避けて通れないと思ったほうがいい。
ところで停滞期というと、怠け者だからとか、能力がないからとか、悪い意味でとられがちだ。けれど、わたしはこの停滞期はけっして悪いものではなく、むしろ必要なものだと思っている。
そもそも停滞期という名前がいけない。これは熟成期なのだ。成長期と熟成期をくりかえして、語学は上達していく、とわたしは信じている。
なんとなく、自分が上達しないことの都合のよい言い訳めいてきたけれど。。
なぜこんなことを言っているのかというと、この時期、一番の問題点はモチベーションをキープするのが難しいということだからだ。せっかくがんばってきたのに「停滞してる」と思った瞬間、やる気がなくなり、自己嫌悪におちいり、あきらめてしまう。
これはとてももったいない。
なので、わたしはこれを「熟成している」と思うことにしている。
成長期には、語学学校にいったり、検定を受けたりして集中して新しいことをつめこむ。けれど、つめこんだことを身になじませていく熟成期には、文法書や単語帳はつかわない。
本を読んだり、映画をみたり、音楽を聴いたり、ひたすら楽しいと思えることだけをする。ここはちょっと甘やかすぐらいがちょうどいいと思う。なんといっても「つづけること」が大切なので。
わたしの場合、これに加えて、二ヶ月だけ通った大学付属のフランス語コースの先生からプライベートレッスンを受けている。といっても週一度だけ。同世代の女性で話も合うし、適度に適当でゆるいかんじが楽で、友達と会っておしゃべりするような感覚。
先日、いつも使っている大学のカフェテリアが閉まっていて、しかたなく近くのマクドナルドでレッスンすることになった。
人気の少ないすみっこを選び、ひっそりとテキストを開き、ある簡単なフレーズを使う練習をはじめた。先生が質問し、私が答えていくというものだ。
すらすらでてこなくて、うーん‥と考えてからたどたどしく答える。
こんな時、プライベートレッスンはいい。おしゃべりでせっかちなクラスメイトがいないから、いくらでもマイペースでもたもたできる。
「あなたは、おばけをみたことがありますか?」
「みたことある!」
即答したのは私ではない。
「あなたは、おばけがいるって信じますか?」
「もちろん!」
またしても、即答したのはわたしではない。
なんと隣のテーブルにひとりで座っていた五歳くらいの男の子だ。
プライベートレッスンのはずが、最強のライバル登場である。
わたしがまごまごしているうちに、おばけをいつどこでみたかなどと、カンペキなフランス語でせんせいに説明している。いつのまにか調子にのって自己紹介まではじめているではないか。。
おいおい、授業料を払っているのは私だぞ。
まあよく考えてみれば、彼には私たちがレッスン中とはわからなかったのだろう。
しかもおばけがいるとかいないとかって幼稚園レベルの会話だもの。。彼がだまっていられなかったのも無理はないか。
それにしてもこんなちびっこに負けるとは‥とくやしがっていたら、先生が「だってこの子の母国語はフランス語なんだからしょうがないよ」となぐさめてくれた。
ここで男の子の母親が注文したハンバーガーとともに戻ってきた。
「いくわよ」
「えー、でももうちょっとお話ししていたいのになー」
「え?何話してたの?」
「おばけのはなし」
「あら、よかったわねぇ。じゃ、ちゃんとさよならして」
「はーい。さようなら。またね」
と、めっちゃ流暢な「英語」で会話して、親子は出て行ったのだった。
先生もさすがになぐさめの言葉がみつからず二人してぽかーん。
たぶん、親は英語圏から駐在かなにかできていて、彼は幼稚園でフランス語を話して育ったのだろうけれど。。なんか、ずるい。
やる気を失うきっかけは思わぬところからもやってくるものだ。
外国語習得は長い道のり。上達の秘訣は1に継続、2に継続。
そう信じて、つづけるしかない。