ワオ!おめでとう!ようこそアメリカへ!
ちょっと芝居がかった、大げさな調子でそういうと、口ひげをたくわえたその入国審査官は、差し出したわたしの”移民ビザ”に、ポンッといきおいよく、スタンプをおしてくれた。
事務的なやりとりが、淡々と無表情にくりかえされるしずかな審査場に、その声はひときわ大きくひびきわたって、周囲の人が思わずふりかえるほどだった。
わたしが、グリーンカード(永住権)の申請をはじめたのは、トランプ政権が発足する直前だ。
トランプさんの移民政策の影響をモロに受けたおかげで、ここにたどりつくまで約二年かかった。
そう。
そのながくて、ややこしい道のりを思えば、頭上でくす玉が割れたって、やりすぎではなかったのかもしれない。
だから審査官の歓迎のことばは、まるでこんなふうにも聞こえた。
「魔法の国へ、ようこそ!」
呪文を合図に、魔法のとびらが開く。
そうしてわたしは、ディズニーランドの永住権でも手に入れたかのような足どりで、アメリカに「移民」として初上陸をはたしたのだった。
おなじ「移民」でも、エイリッシュの初上陸とちがって、ずいぶんのんきなものだな。
空港をあとにするタクシーの中で、わたしは飛行機のなかでみた映画の、やはり移民としてアメリカにやってきた女の子のことを、思い出していた。
映画「ブルックリン」。
アイルランド人の女の子エイリッシュは、ニューヨークのブルックリンに、たったひとりでやってくる。
1950年代のことだから、飛行機ではなく船で、到着したのは空港ではなく、エリス島だ。
当時、ヨーロッパからの移民をのせた船は、大西洋をわたり、ニューヨーク湾に浮かぶこのエリス島に到着した。
島には、移民局がおかれていて、ヨーロッパからの移民はみんな、まずここで入国審査をうけたのだ。
エイリッシュたちをのせた船が、ニューヨーク湾に入るとすぐに、自由の女神とニューヨークのビル群が視界にはいる。
自由の国、きぼうの国。
エイリッシュたちが、それをはじめて目にしたときの覚悟といったら。
私のふわふわしたそれとは、まったく比べものにならない決死の覚悟だったにちがいない。
閉塞感のあるふるさとを飛び出し、腹をくくってやってきたはいいけれど、ニューヨークの暮らし、新しい仕事、人間関係、すべてになじめず、ホームシックに苦しむエイリッシュ。
いじいじ、おどおど。
なにしろ、生まれてからはたちになるまで、ずっとアイルランドの田舎で暮らし、外の世界を知らなかった女の子なのだ。
それが、いきなり、ニューヨーク、しかもインターネットもない時代。
飛行機も電話も、いまのように気軽に使えるものではなく、国に帰るとすれば船、家族の声が聞きたいと思っても手紙しかないころの話だ。
すんなりなじめ、というほうが無理な注文かもしれない。
コンフォートゾーンを一歩でることで、ひとは成長する、というけれど。
住み慣れた、家族や友だちのいる地をはなれ、新しい環境で仕事も、人間関係も、くらしもゼロからスタートする。
かんがえてみれば「移民」になるということは、究極の「脱・コンフォートゾーン」だ。
エイリッシュも、苦しんだ末、さまざまな出会いと、学びと、経験をとおして、自信と自立を手にいれて成長していく。
火事場のバカぢから、じゃないけれど。
「やばい!どうしよう!」
となってはじめて、ONになるスイッチが、わたしたちの体にはかならずついている。
それを目にみえて実感できるのが、エイリッシュの成長とともに変化する、彼女の服の色だ。
アイルランドのお国の色といえば「みどり」。
いじいじ、おどおど期には、知ってか知らずか「みどり」ばかりを身につけているエイリッシュなのだけれど、やがて、ニューヨークの暮らしになじむにつれ「みどり」は、レモンイエローに、ピンクに、サックスブルーにとってかわっていく。
それは単に、田舎の女の子の外見があかぬけました、というだけのことではない。
それはエイリッシュの内面的な成長の証だ。
その証拠に、服がカラフルになるのとどうじに、エイリッシュの人生もカラフルに彩られていくのだ。
記念すべき、わがアメリカ初上陸の日から数日後。
わたしは、アメリカ人の友人夫妻のお宅を訪ねていた。
首尾よくことがすすめば、数週間後に、ここにわたしのグリーンカードがとどくことになっている。
アメリカへ、ようこそ!
スティーヴとジェニーは、わたしをむかえてくれた。
チキンマルサラをとりわけながら、スティーヴがいった。
「ジェニーのルーツは、アイルランドなんだよ」そして、生粋のニューヨーカーだとばかり思っていたスティーヴもまた「イタリア系でね」と。
「そもそも、生粋のアメリカ人、生粋のニューヨーカーっているのかな?」
そういって顔を見合わせるふたりは、それぞれのルーツを求めて遺伝子検査を受けたばかり。
夏休みには図書館でしらべて探しあてた、とおいとおい親戚をたずねて、アイルランドとイタリアを旅したそうだ。
夕ごはんのあと、ジェニーが家のなかを案内してくれた。
と、ある部屋でわたしは、そこだけ雰囲気のちがう、クラッシックな花柄のかべ紙をみつけ、目がくぎづけになってしまった。
「ほかのインテリアと合ってないでしょう?」
たちどまるわたしにむかって、ジェニーは言った。
「でも、なぜだか、捨てがたくて」
リノベーションしたとき、迷ったすえのこすことにしたのだ、とうっとりかべ紙をみつめるジェニーの横顔が、ふとエイリッシュとかさなった。
それは、とても深くて美しい、みどり色のかべ紙だったのだった。
*移住だ、初上陸だ、永住権だ、とおおげさに書きましたが、、、今回はあくまで「グリーンカードを受けとるため」だけに、休暇をかねてニューヨークにきています♪