くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

夜空に、メルシー!

あのあと。

(というのは、「濃厚接触を避け、ナマステにしておきなさい」と父から忠告を受けたことを、ココに記したあとのこと)

じつは、ナマステすらできない事態におちいっていた。

人混みを避け、濃厚接触を避け、あんなに気をつけていたはずなのに。

きづけば「濃厚接触者」になっていた。

もっか、自主隔離中の身なのである。

 

二週間前。

まだヨーロッパが今のような状況になる、ギリギリ前のこと。

友だちが4人うちにきて、いっしょに夕ごはんを食べたのが、ことのはじまりだった。

「体調に変わりはない?」

一週間ほどして、そのうちの二人(夫婦)から電話があった。

きけば数日前から、二人そろって微熱と咳がではじめたのだという。

二人ほぼ同時に症状がでた、というのがひっかかるけれども、わたしたちにもあともう一組の夫婦にも、症状がなかったから、

「ただの風邪だよね」

「そうだよね、まさかだよね」

などといって電話を切ったのだ。

 

ところが、後日検査をうけたところ、結果は陽性。

その一報をもらったとき、まずわたしの頭をよぎったのは、彼らが「いつ、どこで感染したんだろう?」ということだった。

夕ごはんの日よりも前?

夕ごはんの日? 

だとしたら、だれから?

そして、夕ごはんの日より後だったら、いいな、と。

 

なんとわたしときたら、そんなことばかりが気になって、

「それで、あなたたちの体調はだいじょうぶなの?」

という、本当ならいの一番にするべき質問を、いよいよ電話を切るというときになるまで、すっかり忘れていたのだ。

まったく、開いた口がふさがらないとは、このことだとおもう。

自分さえよければ、それでいい。

わたしは絶対そんな風には考えたりしない、そんな風には行動しない。

そう信じていたのだけれど、実際そういう場面にでくわしてみれば、自分のことばかりで頭がいっぱいのわたしがいた。

 

言うは易し。

自分に余裕があるときならまだしも、お互い余裕がないときにはさらにむずかしい。

こういうときに、どうふるまえるか?

人も、国も、制度も、組織も、今はみんなが試されている時なのだとおもう。

 

毎晩、夜9時。

拍手と口笛と、メルシー(ありがとう)!の声が、夜空にこだまする。

アパートのバルコニーから家々の窓から、休みなく働く医療従事者のひとたちに、感謝のきもちを伝えている。

自分のことをあとまわしにして、みんなのために働いてくれている人たちがいる。

その人たちのことをおもって、感謝のきもちを伝えようとする人たちがいる。

他人のことを考えられる人たちが、灯りの数だけいる。

夜空にひろがる「メルシー!」に、なんだかホッとしているのは、わたしだけじゃないはずだ。

f:id:sababienne:20200321195017j:plain 追記:その後、友人カップルは軽症のまま回復して陰性に、わたしたちも症状のないまま自主隔離の期間を終えました。ご心配おかけしました!