くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

優しい嘘

証明写真といえばいまも昔も頭痛のタネ。スイスにきてからというもの、その頭痛はひどくなるいっぽうである。

靴修理店の片隅にある証明写真サービスに、レフ板などはあるはずもなく、照明は切れかかった蛍光灯。髪を整える用の鏡もなければ、時間もない。

撮影するのは靴修理と合鍵作りが本職のスタッフで、白い壁の前に立たされアッと言う間もなくカシャっと一枚、一発OK。「修整」などというサービスは、もちろんない。

その結果、頬にほつれ髪、鼻の頭にアブラ、目は半びらき。みょうに黄ばんだもの哀しいアジア人、といった風情のわたしが、4枚セットでプリントされることになるわけなのだ。

しかし、今回の写真スタジオはちがう。

なにしろ、日本領事館おすすめの写真スタジオなのである。

スタジオに入るやお出迎えしてくれるのは、国連マークを背にした各国首脳や、歴代の国連総長のポートレートだ。まさか、とおもって聞いてみると、どうやら国連のおかかえ写真館らしい。

これは期待できると思ったら、本当にできあがった写真はスイス在住史上、最高の出来栄え。わたしはその足で、パスポートを更新しに、領事館にむかったのだった。

あれから一週間。

「お預かりしていた古いほうは、破棄しますか?それとも、お持ちになりますか?」

領事館の窓口で、新しいパスポートを受けとると、職員の男性に聞かれた。

古いパスポートには、過去十年間に旅した先のスタンプや、ビザが貼られている。八年前に結婚してスイスに来た前後のものもあるし、思い出にもらっておくことにした。

家に帰りふと気になって、新旧二冊のパスポートをならべて開いてみた。

言葉を失う、とはこのことである。

国連写真館をもってしても、十年という時の残酷さには、あらがえなかったらしい。

そこには「直売所で買った、もぎたての桃」と、「一ヶ月後、冷蔵庫の奥で発見された、忘れ去れし桃」ぐらいちがう、十年前のわたしと、今のわたしがいた。

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もっとも十年前の写真は、天下の伊勢丹写真館にて、国連写真館にはらったお金の3倍投資し、スタッフが「これ以上修整したら、空港で本人確認できないですよ!」と悲鳴をあげるまで、とことん修整してもらった写真だ。

単純比較して一喜一憂するものではない、と頭ではわかっているのだけど、女心たるものそんな理屈には耳をかさない。

どんより気分ですごすうち、ふと思いついたのだ。

「そうだ、このどんよりを共有してみよう!」

この手のことって、えてして気にしてるのは自分だけ、他人からみたら大したことじゃないことが多い。

自分じゃ「一ヶ月後の桃」でも、他人からみたら「一週間後」ぐらいかもしれぬ。というわけで、パスポート写真を並べてとって、LINEで母に送ったのである。

しばらくして、たったひとこと返信があった。

「写真は、正直ですね」(絵文字なし)

それをみた夫が、ポツリといった。

「正直なのは、写真じゃなくて、お母さんのほうだよね」

わたしは、おもう。

優しい嘘、というものがあるということを、この人たちは、知らないのだろうか?

失言の埋めあわせに、切れていた美容液を注文させたけれど、今夜は眠れそうにない。