くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

三つ子のたましい、なんとやら

小学校の卒業文集をめくっていたら、一人に一ページ、そのひとが「どんな人か」をクラスメイトが一行ずつ書いてあるコーナーがあった。

頭がいいとか、スポーツが得意とか、色が白いとか、顔がながいとか、羊ににているとか。

まとを射ているものから、意味不明のものまで。小学生らしい歯にきぬきせぬ一言で「クラスメイト像」がうきぼりにされてあって、なかなか読みごたえがあった。

どれどれ、と自分のページをひらいてみて、わたしは絶句してしまった。

というのも、

 「すぐ怒る。」

 「怒るとこわい。」

などと、男子による「わたし像」が、しめしあわせたかのように一本化されていたからなのだ。

くやしいけれど、男子たちはまちがっていない。

だって現にいま、ページをくるわたしの手はワナワナと怒りにふるえており、目の前では、男子たちに共感しきりの夫が、ニヤニヤしているのだから。

 

「ちなみに、当時はどんな理由で、怒っていたの?」と、夫が聞く。

そうなのだ。

いつだって怒るのには、理由というものがある。

だれだって好きこのんで、怒りたいわけじゃない、というのはわたしの口ぐせで。

現在、三ヶ月に一回ぐらいのペースで、わたしに怒られることに辟易している夫は、ほかの男子がいったいどんな理由で怒られていたのか?

おおいに興味があるのである。

ここはひとつ「そりゃあ怒って然るべし」とぐうの音もでないような一例を示さねばなるまい。

と、わたしが思い出したのは、ミッキーマウス似の森泉くんだ。

ある日、わたしが休み時間から席にもどると、となりの席の森泉くんが、わたしの机の上を指さしてこういった。

「ねぇ、ねぇ。それって何?」

みると、米粒くらいの黒っぽい物体が、机のへりに乗っていた。

「消しゴムのカスじゃない?」

わたしは、指でつまんで匂いをかいでみた。当時、匂いつきの消しゴムが流行っていて、わたしの消しゴムならば、クッキーの匂いがするはずだと思ったのだ。しかし、その物体に匂いはなかった。

それもそのはず、

「おしえてやろうか?」

イヒヒヒ、とニヤつきながら森泉くんがいいはなった答とは。

わたしの指のあいだにはさまる、そのどす黒い物体とは。

森泉くんの、鼻くそだったのだから。

 

ちなみに、担任の先生と女子のコメントで、圧倒的に多かったのは「日記・作文がおもしろい」だった。

そういえば、先生に提出する日記や、作文の宿題は、書くのが楽しくて必要以上にながながと書きまくっていた記憶がある。

三つ子のたましい、、なんとやら。

大人になって、ずいぶん変わったつもりでいるけれど、根っこのところは小六のままなのかも。

その証拠に、わたしはいまもこうして、誰に頼まれるでもなくせっせと作文を書いており、わたしはいまでも、すぐ怒り、怒るとこわい(らしい)。

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*ロックダウン解除後に、レマン湖でみかけた白鳥の親子。

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*だれもいないレマン湖で、ことしはさぞかし落ち着いて出産できたことでしょう。