くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

あの日、エレベーターで。

エレベーターのとびらが開くと、久しぶりにムッシュー・ボンジュールの顔があった。

「ボンジュール!」

いつものように地下の駐車場までの数秒間、ひとことふたこと言葉を交わす。

そんなわずかな会話の中にも、上品さとユーモアがにじみでる、ムッシュー・ボンジュールはアパートの上階にすむ住人だ。

いつみても、髪は床屋にいきたてみたいにセットされており、パリッとアイロンのかかったシャツや、上質なセーターなんかをさりげなく身につけている。

レディーファーストが、生まれ落ちたときから身についていたかのような、身のこなしには、おもわず目をみはってしまう。

相手がだれであれ、おなじ空間にいるひとを、居心地よくさせる。

本物のジェントルマン、とはこういう人のことをいうのだろう。

エレベーターでムッシュー・ボンジュールに会った日は、一日幸せな気分でいられる。

と、ここまで絶賛しておきながらじつをいうと、ムッシュー・ボンジュールには、エレベーターの中でしか会ったことがない。

名前も知らない。

(だから、ムッシュー・ボンジュールなのだ)

たとえば別の場所、駅とかスーパーマーケットで会っても、100%気づかないだろう。

ムッシュー・ボンジュールは、エレベーターの中にいて、はじめてムッシュー・ボンジュールなのだ。

 

そういえば、あの日、エレベーターで。

閉まりかけていた扉をあけてくれたのも、ジェントルマンの中のジェントルマンだった。

東京・丸の内、三菱商事ビル別館。

「どちらの階まで、行かれますか?」

朝の会議にぎりぎりセーフですべりこもうと、バタバタと駆けこんできたわたしに眉をひそめるでもなく、ジェントルマンは、そう言ってにっこり微笑んだ。

ヒールの音も騒々しく、走ってきた姿をみられていたかとおもうときまりわるくて、わたしはうつむいたまま階を告げる。

上品で、ものしずかな佇まい。

横顔は、高倉健に似ている。

やがて、ポーンと電子音が鳴って、エレベーターの扉がひらくと、ジェントルマンはさきほどとおなじ笑顔で扉をおさえ、わたしをおろしたあとからおなじ階でおりた。

軽く会釈をしたあと、ジェントルマンは左へ、わたしは右へ。

はじめてくるビルで、会議室をさがして行ったり来たりウロウロした挙句、いくつ目かの角を曲がってやっと目当ての会議室をみつけた、、とおもったら、会議室の入り口ではちあわせしたのは、ふたたびジェントルマン。

「おやおや。行き先はおなじでしたね」

と、みたびやさしく笑ってくださったそのジェントルマン。

そのジェントルマンこそ、先日コロナで亡くなられた、岡本行夫さんだった。

いいわけをするとその日の会議は、岡本行夫さんの発案で「シニア世代の人生を、豊かなものにしよう」という企業コンソーシアムの、第一回顔合わせだった。

だから、ほぼ全員が初対面だったわけなのだ。

とはいえ、著名人であり主宰者である岡本さんにきづかず、あいさつもせずに、のこのこレディファーストしてもらうなど、ふとどき千万。

いま思いかえしても、穴があったら入りたい気分なのだけれども、エレベーターの中で、ジェントルマンだった岡本さんは、コンソーシアムの仕事上でも、そのまんまジェントルマンだった。

著名人で社会的地位もあるにもかかわらず、上にも下にも男女のわけへだてもなく、おなじように接してくださる気さくなお人柄に、メンバーからの人望もあつかった。

しかし、お仕事上の功績や、優秀さ、お人柄については、「議事録係の女の子」だったわたしが、いまさらいうまでもないことだろう。

ただ、いまでもわたしの思い出のなかで、あのやさしくジェントルマンな岡本行夫さんは、エレベーターの中にいる。

今朝、ムッシュー・ボンジュールに会ってふいに思いだしたそのことを「さいごの議事録」に残しておきたかっただけなのだ。

こころから、ご冥福をお祈りします。

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*ちょうど先月が満開だった、白いキャンドルのようなマロニエの花