くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

心に灯台を:ポルトガルひとり旅(らしきもの)日記〈後編〉

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この旅に出る少し前に、一冊の絵本が届いた。ファン兄弟の『リジーと雲』という絵本で、二ヶ月ほど前に書店に注文していたものだ。在庫がある、と言っておきながら発送まで二ヶ月、というのはいかがなものかと思わないでもないけれど、急ぐものでもなかったので放っておくうち、注文したことすらすっかり忘れていたのだった。

自分で注文したものなのに、受け取った時、だれかからのプレゼントのように感じたのはそのせいでもあるのだけれど、よく考えるとそれはタイミングのせいでもあったのかもしれない。

『リジーと雲』の主人公は、縁日で買ってもらった(風船みたいな)雲を大事に育てている女の子、リジー。物語はそんなリジーの視点から描かれている。成長して大きくなった雲のほんとうの幸せについて(リジー目線で)考えさせられる絵本なのだけれど、わたしは雲の方に心が重なった。

今あるしがらみ全てから解放されて、ひとり自由にちぎれ雲になって空に浮かんでいられたら、どんなにスッキリするだろう。時折、そんな物騒な考えが頭をよぎったりするほど、当時のわたしは袋小路に行き詰っていて、まるでリジーの部屋に閉じこめられ雷雨を降らせる雲そのものだったからだ。

絵本を注文した時には、受け取るときにこんな心境に陥っているとは思ってもみなかったのだから、言葉や本との出会いは不思議だ。探してもみつからなくて、必要としている時にふらりとやってくる。

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さて。旅の終わりに連れていってもらったのは、ロカ岬。ここに地終わり、海はじまる。カモンイスの詩の一節が刻まれた十字架のモニュメントの先には、大西洋と空が水平線で交差する。ポルトガルに移住してきたばかりの頃、友人はこの一節をここで見つけて思ったそうだ。

いったいどんな気持ちで、男たちはここから冒険に出たんだろう?

女たちはどんな気持ちでそれを見送ったのだろう?

未知の世界に旅立っていった昔の男たちの勇気と覚悟、送りだす女たちの祈りに思いをはせ、わたしたちは刻まれた文字をなぞった。たとえ片道切符の旅になるかもしれないとしても、心の根っこがつながる場所が背後にある、ということはどんなに心強いことだろう。

大航海時代の冒険とは比べものにならないけれど、わたしと友人は、ほぼ同じ時期に会社を辞め海外に移住した。わたしはスイスへ、彼女は東南アジアへ。東の果てである日本をでて十年。それぞれの冒険を経た末に、ぐるり巡って西の果てで再会している不思議を思った。

強風に流された雲が次々と水平線に吸いこまれていく。大きく深呼吸してみると、胸がスッと軽くなっている。気のせいなんかじゃない。ここしばらく胸を塞いでいた重たい気分は、いつの間にやら消えて無くなっていた。

友人と肩を並べ歩きながらわたしは、思い切ってひとりここまで友人を訪ねてみてよかった、と思った。どんなに心地よい環境でもそこに安住するだけではなく、時にはこんな風にひとりでアウェイに身をおき視点を切り替えてみることも必要なのかもしれない。そうすることで、見失っていた道が再び見えてくることがあるから。ほら、あそこ。友人が指さす旅の終点には、灯台が建っていた。

出発の朝。キッチンにあいさつに行くと、マダムは複数のフライパンを同時にゆすってオムレツを作っているところだった。

「次は旦那さんといらっしゃいね」

と、マダム。

「はい、必ず!」

と、わたし。

ひとり旅の良いところは、二人旅の良さに気づけることでもあるのかもしれない。マダムの足元では、チッキィがのびのび床に寝そべっていた。遠吠えしていたことなんか、なかったかのように。

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