くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

チッキィの遠吠え:ポルトガルひとり旅(らしきもの)日記〈前編〉

久しぶりに「ひとり旅(らしきもの)」をした。らしきもの、というのは、現地の友だちを訪ねたので厳密にいうと「ひとり旅」とはいえないからで、とはいえ往復も宿泊も、旅のおよそ半分ぐらいは一人だったからだ。

ひとり旅には、それならでは、の良さがある。たとえば、観光名所ではなくただ個人的な興味に導かれるがまま、自分の気にいった店に入り浸る幸せ。たとえば、ふらりと入った教会でミサがはじまってしまい、予定を変更してただただ心を鎮めるひととき。たとえば、ちょっと背筋が伸びるホテルの朝ごはん。

泊まったB&Bには、チッキィという犬がいた。マダムの座る椅子にぴたりとくっつき、くるくる巻き毛に埋もれたまんまるな瞳でこちらをみつめるチッキィは、まるでお母さんのエプロンにしがみつく小さな子どものよう。ポルトギーズ・ウォータードッグ」というポルトガル原産の犬種で、マダムの家では代々この犬種の犬ばかり飼っているらしい。白黒写真にクラシックなドレスを着た、マダムのひいお祖母さんに、チッキィそっくりの巻き毛の犬が「お手」している写真が、壁に掛かっていた。

このB&Bは、近くで暮らす友だちが見つけてくれたものだ。ついこの間までは廃墟になっていた貴族の別荘をリノベして、B&Bとしてオープンしたばかりらしい。チェックインから朝ごはんまで、マダムがワンオペで奮闘しているようだった。

マダムはこの別荘の持ち主ファミリーの末裔で、つまり貴族のはずなのだけれど、飾り気がなく気どりもない。その感じがどことなく、大原に暮らしていたベニシアさんに似ていて、勝手に親近感がわいてしまう。

「表の門を忘れずに閉めてね」

わたしが夕ごはんに出かけようとすると、マダムから声をかけられた。

「チッキィが、でていっちゃうから」

夕ごはんは友だち夫婦行きつけの「いわしや」に連れていってもらった。夕方の六時でまだ早かったから、お店はガラガラだったのだけれど、開店準備で忙しそうなウェイトレスに「席なんてないよ」と冷たくあしらわれた。

常連のはずなのにこの仕打ち? と思ったら、

「なーんちゃって。予約でいっぱいだけど、隅っこの席ならいいわよ」

ウェイトレスは、わたしたちの肩を抱き寄せて「がはは」と笑った。親しみの情を表現するにもいろいろなやり方があるものだ、と妙に感心してしまう。わたしたちはみどり色じゃないけど、みどりのワインという名のヴィーニョ・ヴェルデをたらふく飲み、いわしの塩焼きをもりもり食べた。そしてわたしはひとり、霧のたちこめる夜道を千鳥足でB&Bに帰った。

あらかじめ教えられた方法で玄関の鍵を開け、ミシミシと音のする階段を登っていくと、若い男性同士のカップルとすれちがった。肖像画やアンティーク家具に囲まれて古いお屋敷で眠るのはロマンティックだけど、もし宿泊客がわたし一人だったらちょっと怖いなぁと思っていたので、ほっとしたのも束の間。

廊下のすみの暗がりで女の人がひとり、肘掛け椅子に腰かけていてぎょっとする。通りすがりながら、

「こんばんは」

というと、視線は開いた本の頁に落としたまま、声だけで返事が返ってきた。

「こんばんは」

それは確かにマダムの声だった。どうやら肖像画から抜けでてきたご先祖様ではないらしく、改めてほっとする。

翌日、朝の散歩のあと、部屋でごろごろしていると、開けた窓からチッキィの遠吠えがきこえてきた。窓から外をのぞくと、門扉に鼻面をくっつけているチッキィの背中がみえた。遠吠えはなんどもなんども繰りかえし、喉の奥からしぼりだされる。それは遠いどこかに、もう会えない人がいるような、悲し気な声だった。

(つづく)