くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

そんな、バナナ話

夫は、毎朝バナナを食べる。

お米やパンが切れても平気なくせに、バナナが切れるとあわててスーパーに買いに走る。

夫の体の5%ぐらいはバナナでできているのではないか?とわたしは怪しんでいるのだけれど、世の中に「バナナ依存症」というものがあるとしたら、夫はまちがいなくそれだと思う。

夫は毎朝バナナを半分、わたしによこす。

理由は単純で、一人で食べるには、バナナが大きすぎるからだ。

わたしはといえば、バナナは嫌いじゃないけれど、毎朝食べたいほど好きでもない。たまには他の果物も食べたいし、たとえ好きなものでも毎朝は飽きてしまう。週に1〜2度ならうれしいけど、毎朝鼻先につきつけられるのはちょっと…というのが本音だ。

でも。

わたしが半分食べなかったら、どうなるのだろう?

食べたいかどうかよりも、ついついわたしはそんなことを考えてしまう。

夫が一本無理して食べてカロリーオーバーになるか、毎朝バナナが1/2本ゴミ箱行きになるか…だったら、大嫌いなわけじゃないんだしわたしが食べておくか、ということになる。

そんなことを繰り返しているうち、本当はあんまり食べたくもないんだけどなぁという「小さなガマン」を重ねるのがすっかり習慣化してしまった。

ところが先月、ものすごく新鮮だというイタリアのぶどうを、知り合いからどっさりいただいた。

「新鮮なうちに全部食べてね」と言われたのを理由にしばらくバナナをパスするうち、夫がどこで見つけたのか、ひと回り小さなバナナを買ってくるようになったのだ。

しかもこの小ぶりなバナナ。一人で食べるのにちょうどよいサイズであるばかりか、味もすこぶる良いらしい。大いに気に入った夫は、以来このバナナを毎朝ひとりで一本、食べるようになった。

と、こんなふうにして突然、なんと八年続いたバナナ1/2本の配給は、あっけなく停止されることになったのだ。

こんなことならもっと早くガマンするのをやめておけばよかった…とわたしが後悔したのは言うまでもない。

しかしそれは今だから言えることであって、その最中は「小さなガマン」を重ねていることすら自覚していなかったのだから仕方がない。

そう。

「小さなガマン」は、くせ者なのだ。

小さいが故に本人も気が付かぬうち、じわじわと積み重ねられていく。そして小さいからと侮っていると、チリも積もれば山となる。

それにしても、八年間。

毎朝配給されたバナナを積み上げたら、標高何メートルぐらいの山になるのだろう?

そんなバナナを巡るしょうもない話でむかえる、八回目の結婚記念日なのだった。

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*バナナの配給がストップしてからというもの、朝ごはんは自由奔放に。この日は、朝ケーキ♪