くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

MGに試されていること

MG、という古い車を、リストア(修理)することになった。夫が十代のころお姉さんに借金して手に入れた、クラシックなスポーツカーだ。

かれこれ数十年、倉庫にいれっぱなしだったので自力走行はできない。修理してくれる修理屋を探すのにひとしきり苦労したあと、やっとの思いで運送してくれる業者を探し出したのだ。

トラックには、運転手と夫と甥っ子のNくんの三人がかりで押して載せた。

やれやれ。

トラックを見送りながら、わたしはふとLさんの横顔を思い出していた。

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「新品買ったほうが、安いのにね」

無理やり財布をいれるのできまって同じところが破れてくる夫のジーンズは、お直しでツギを当ててもらうと五千円くらいかかる。

ヴィンテージでも何でもない普通のジーンズなので、買いかえたほうがよっぽど安いのだ。

お直しのお店の外で、夫を待つ車の中。後部座席に座っていた友人のLさんにそういうと、Lさんはこう返してよこしたのだった。

「そう? 気に入ったものを手入れしながら、大切に使う考え方のほうがずっと豊かじゃない?」

安易に同意したりせず、きっぱりとそう言い切るLさんのバックミラーに映る横顔が、ほれぼれするほど凛々しくて、わたしは言葉をつぐことができずにいた。

気に入ったものを直しながら大切に使うこと。

それはLさんのいう通り、たしかに豊かなことなのだとおもう。

靴ならばマメに磨いたり、かかとを直しに出したり。着物ならば虫干ししたり、洗い張りにだしたり。カシミアならばブラッシングしたり、家ならば定期的に修繕したり。

テマヒマと、そしてお金がかかる。

あれはそう、大伯母からひきついだ古い時計や家具を修理したときだ。メーカーの工房を尋ねてまわって部品を探し出してもらうまで辛抱強く待ち、ようやく使えるようになるまでに一年以上かかったこともあったっけ。。

質のよい物が手軽に手に入るいま、それはもはや豊かというよりもナンセンスなのかもしれない。でもこんな風にモノと付き合っていると、ときどきふっと不思議な感覚におちいることがある。

それは、モノを選んだのはわたしのはず。でも、じつはわたしがモノから選ばれているのかも?という変な感覚だ。

「所有するからには、ちゃんと使っていただけるんでしょうね?」

モノが喋れるとしたら、こんな風に言われているような。つまり、所有者としての器量を試されているような気がするのだ。

テマヒマと費用を惜しまずモノを手入れしているとき、モノを育てているようでいてじつは、モノから自分が育てられていることがある。

あのときLさんの言いたかった「豊かさ」とは、じつはこんな心もちのことだったのかもしれない。

あれから二週間。

修理工場から、MGの見積が送られてきた。

上述したLさんの言葉も、そこから導きだされたステキな持論も。すっかり忘れてわたしは口走っていた。

「新車買ったほうが、安くない?」

そこには、わたしが想像していたより一桁多い数字がならんでいた。

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