2月8日(水)晴れ
村のカフェでアメリカン・コーヒーを注文すると、エスプレッソと(薄める用の)お湯がでてきた。ふざけているわけでもケンカを売っているわけでもなく、イタリアでアメリカン・コーヒーといえばこういうものらしい。アメリカ生活が長かったRは、言葉を失っていたけれども、郷に入れば郷に従えである。
わたしは旅先ではなるべく、その地が「本場」とか「元祖」のものを楽しみたい派だ。日本人にはわりとそういう人が多いように思うが、世の中には「世界中のどこにいっても、お国のものが食べたい!」という人もいて、わたしが思うにアメリカ人とインド人はその代表選手である。(スイスの有名どころの山の上には、だから、インド料理店がある。)
とはいえ「イタリアにおけるアメリカン・コーヒー」のような解釈にも、その土地を感じさせるものがあっておもしろい。
そういえばアップル・シュトゥルーデルはスイスでもよく食べるが、もともとはオーストリアのお菓子だ。コーニェでもあちこちで見かけたので食べてみたのだが、スイスのものは生地が紙みたいに薄いのに対し、ここのはパイ生地で包んであってデニッシュに近い。「本場」のオーストリアのものは、まだ食べたことがないのだけれど、どちらに近いのだろう?
夜は予約してあったマッサージを受けに、スパへ行った。フィレンツェにあるサンタマリアノヴェッラ薬局で作られたアロマオイルを使うと言われたので、オイルマッサージをしてもらうことにした。施術者の女の子はイタリア語しか話さず、見ぶり手ぶりで「着替えなどして、施術台の上で待つように」と消えてしまった。
施術室の暗闇のなか、手渡された紙製の「着替え」を広げて、わたしはしばし悩んだ。というのもその「着替え」というのはおそらくパンツで、前と後ろがあり片面が正方形なのに対し、もう一方は二等辺三角形になっていたからだ。わたしの悩みとはまず第一に、それがパンツかどうか。第二に、どちらが前でどちらが後ろか、である。
悩みは尽きない。
手渡された「着替え」はそれ一つのみだったため、仮にそれがパンツだとすれば、水着のトップを外すべきか外さざるべきか、という悩みが追加される。さらには「施術台で待て」とは言われたものの「待て」の姿勢に関する指示が一切なかったため、うつ伏せで待つか仰向けで待つかも悩ましい。
考える人、のポーズでしばし考えこんでみたが、答えはでない。だれも答えは出してくれない。助けてくれる人もいない。この暗闇で頼りにできるのはただ一人、自分しかいないのだ。
わたしは決断した。
その決断がどういうものであったかの詳述は、しないでおく。その決断が正しかったか、間違っていたかも不明である。ただひとつ、施術者の女の子はとくに何も言わずマッサージをはじめ、それがとても気持ちの良かったこと。確かなことは、それだけだ。
部屋にもどり『ナルニア国ものがたり』のつづきを読んだ。ひとたび冒険にでれば、頼れるものは自分しかいない。そんな思いをあらたにした、すばらしい一日だった。
(つづく。コーニェを発つまで、あと一日)